「がんばった」と「忙しい」、「依頼する側」「される側」と「期待している基準」「提供しようとする基準」

「がんばった」と「忙しい」、「依頼する側」「される側」と「期待している基準」「提供しようとする基準」

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20081116

今日、長男と話をしました。

今週の学校のテスト、結果が予想より悪かったらしいです。

「テスト前の週に、毎日夜遅くまで勉強がんばったのに」と、長男は残念がっていました。

本人は「『がんばった』つもり?」でしょうが、結果がでませんでした。

これは、たまたまなのか、そもそも勉強の仕方が悪かったのかは、私にはわかりませんが、本人は「がんばった」のでしょう。

一般に

「ばんばります」とか「がんばったのですが・・・」という発言を聞きくことがあります。

何をどの様に「がんばる」のか、あるいは「がんばった」のかは、本人の基準です。

同じ様に、「忙しい」と言う言葉も気になります。

例えば、「仕事が忙しい」?

定時時間内に終わらないのか、数時間の残業をしても終わらないのか、土日を使っても終わらないのか、徹夜しても終わらないのか・・・

許容量の問題なのか、能力や要領の問題なのか、まさか仕事を他に振って楽をしたいのか
それとも、本人が最大限の力を使っても、消化しきれないのか

これも、本人の基準次第でしょうか?それとも「やる気」の問題でしょうか?

人によって、能力も価値基準も違います。

当然、成果物の品質も違います。

仕事であれば、「依頼する側」と「される側」とは違う人間ですので、「期待している基準」と「提供しようとする基準」も違ってきます。

理想は、お互いの基準が事前に一致し、成果物も一致すればよいのですが、難しい場合が多いです。

私も、人から仕事を依頼される時も、する時もあります。

特に、依頼された仕事に関しては、相手の過去の言動から「期待されている基準」を想像して、それ以上の成果物を提供することに努めています。

相手に、どの様に評価されているかはわかりません。

私の自己満足かもしれませんし、気休めかもしれません。

相変わらず、毎晩のようにファミリーレストランで持ち帰った仕事やプライベートの資料等、気がつけば朝になっていることも頻繁です。

しかし、「がんばったのですが」とか「忙しい」とは言わず、相手の期待を超える成果物を涼しい顔で提出したいと思っています。

これが、私の価値基準。自己満足です。


ところで、長男!

自分の努力(「がんばった」つもり?)と結果とを、早く一致させて下さいね。

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