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実力も運のうち 能力主義は正義か?
The Tyranny of Merit
What's Become of the Common Good?
マイケル・サンデル (著)、本田 由紀 (その他)、鬼澤 忍 (翻訳)
出版社:早川書房 (2021/4/14)
Amazon.co.jp:実力も運のうち 能力主義は正義か?
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「努力と才能で、人は誰でも成功できる」
この考え方に潜む問題が見抜けますか?100万部突破『これから「正義」の話をしよう』から11年
格差と分断の根源に斬りこむ、ハーバード大学哲学教授の新たなる主著
本書は、ハーバード大学教授(専門は政治哲学)の著者が、現代社会に広がるメリトクラシー(meritocracy:能力主義、功績主義)の支配に対して問題を提起し、「機会の平等」を超えた共通善の実現を目指して議論を展開した一冊です。
著者は、『これからの「正義」の話をしよう』や『ハーバード白熱教室』で知られるマイケル・サンデル教授で、本書においても多くの事例を紹介しながら、そしてこれまでの理論や思想と対比しながら活発な議論を展開していますので、多くの方々にとって現在の能力主義のあり方について改めて考えるきっかけとなる一冊です。
本書は序論と7章及び結論で構成されており、能力主義がなぜ、いかにして支配的になり、それがどんな弊害をもたらしているかを、多くの事例や理論及び思想を紹介しながら論じています。
- ・序論では、2019年に起きた不正入試事件を紐解きながら、有名大学の卒業は栄達を求める人びとの目には出世の主要な手段となっている現状を紹介し、その根底にある能力の問題に取り組む必要性を提起しています。
- ・第1章では、2016年の大統領選挙のトランプ勝利の背後には、労働者と中流階級がメリトクラシーの勝者であるエリートに対する憤懣があったことを指摘し、能力主義は社会的絆を腐食している要因となっていることを指摘しています。
- ・第2章では、これまでの歴史の中で、「神の恩龍」であったものが「メリット(能力や功績)」に応じた富という見方へと転化していった過程を描いています。
- ・第3章では、現代の実力主義が「責任」「努力」「意欲」と結びつくことにより、実際には不平等である社会体制と困窮者への侮辱と放置を正当化する機能を果たしていることを指摘し、能力の専制を生み出すのは出世のレトリックスだけでなく、不平等の蔓延、学歴編重の偏見、民主主義の腐敗を招いている指摘しています。
- ・第4章では、歴代の大統領が、いかに高学歴者を優遇し、「賢明(スマート)」さを重視するテクノクラート的な主張を繰り広げてきたかを論じ、能力主義とテクノクラシーの失敗に向き合うことは共通善の政治を再び構想するためには欠かせないと提言しています。
- ・第5章では、現代の社会思想や哲学による能力主義批判が不十分であったことを、ハイエクやロールズの思想と対比しながら論じ、道徳的・政治的プロジェクトとしての能力主義に対する二つの議論「正義に関するもの」と「成功と失敗に対する態度に関わるもの」を検討する必要があるとしています。
- ・第6章では、アメリカにおける大学入試に利用される大学進学適性試験(SAT)を選別装置とし、当初の理念であった社会的流動性とは異なる事態を生み出していることを指摘し、富や敬意の不平等は怒りを育み、政治を害し、分担を助長しているとして能力主義的な成功概念の中核をなす「教育」の問題に切り込んでいます。
- ・第7章では、能力主義的な成功概念の中核をなす二つ目の「労働」に注目して、能力の専制が労働の尊厳をいかに傷つけているかを明らかにし、能力主義の中で失われてきた労働の尊厳を回復するための方向性を検討しています。
- ・結論では、メリットの専制を超えていくためには、消費者的共通善ではなく市民的共通善、機会の平等ではなく条件の平等が必要であることを提言しています。
バイデンが就任したとき、この国は大統領による修復くらいでは解決できないほど分極化していた。
増悪を消し去るには、主流派政党は、世界中の同じ立場の政党のように自らの使命と目的を再考する必要があるだろう。
彼らが擁護した市場主導の能力主義倫理がいかにして怒りに油を注ぎ、反動を促したかを理解する必要があるだろう。
われわれの道徳的・市民的生活を刷新するという希望は、過去40年にわたって社会的絆と相互の敬意がどのように崩壊したかを理解することにかかっている。
本書は、こうした事態がいかにして生じたかを説明し、共通善の政治への道を見いだすにはどうすればいいかを考えようとするものである。
共通善(common good)
アリストテレスの『政治学』で説いた「共通の利益」に由来し、アリストテレスは、「政治とは、より高邁な理想を追求し、市民にコモングッズ(共通善)を考える機会を与え、意義ある生活を提供することだ」と論じている。
過去40年にわたり、市場主義のグローバリゼーションと能力主義的な成功概念が相まって道徳的絆を破壊してきた。
能力主義的選別が、成功は自らの手柄だと教え、われわれの恩義の意識を壊してきた。
われわれは今、そのような破壊が生み出した怒りの嵐の真っただ中にいて、労働の尊厳を回復するために、能力の時代が破壊した社会の絆を修復しなくてはいけない。
共通善を理解する二つの方法
消費者と生産者のアイデンティティの対比は、共通善を理解する二つの異なる方法を指示している。
賃金は、経済哲学者フランク・ナイトが指摘したように、需要と供給の偶発性に左右され、貢献の価値を決めるのは需要と供給ではなく、力を注ぐ対象の道徳的・市民的重要性であり、そこには独立した道徳的判断が含まれる。
1.消費者的共通善:経済政策立案者の間ではおなじみの、共通善をあらゆる人の嗜好と関心の総計と定義する方法である。
- ・共通善の達成は経済的成長の最大化によって、普通は消費者の幸福の最大化によって、成し遂げられる。
- ・共通善が単に消費者の嗜好を満足させることであるならば、市民賃金は、誰が何に貢献したかを測るのにふさわしい物差しになる。
- ・お金を稼ぐ人が、消費者が欲する財とサービスを生産することによって、共通善に最も価値ある貢献をしたことになる。
2.市民的共通善:共通善に関する消費者的考えを排し、市民的概念とも呼べるものを優先する。
- ・市民的理念に従えば、共通善とは、単に嗜好を蓄積することでも、消費者の幸福を最大化することでもない。
- ・自らの嗜好について批判的に考察すること、理想としては、嗜好を向上あるいは改善することであり、それによって価値ある充実した人生を送ろうとすることである。
- ・それは経済活動だけを通じて達成できるわけではなく、正義にかなう善良な社会を実現するにはどうすればいいかを、同胞である市民とともに熟考することが必要となる。
- ・共通善の市民的概念は、人びとに公的な熟議の場と機会を提供する一種の政治を必要とし、経済におけるわれわれのが演じる最も重要な役割は、消費者ではなく生産者としての役割である。
貢献的正義の理論が教えるのは、われわれが人間として最も充実するのは共通善に貢献し、その貢献によって同胞である市民から評価されるときである。
GDPの規模と配分のみを関心事とする政治経済理論は、労働の尊厳をむしばみ、市民生活を貧しくする。
メリトクラシー(meritocracy:能力主義、功績主義)
イギリスの社会学者・社会活動家マイケル・ヤングが著した『The Rise of the Meritocracy』(1958年、伊藤真一訳『メリトクラシーの法則』)で提唱した言葉である。
メリトクラシーとは、IQと努力により獲得される「メリット(merit)」に基づいて、人々の職業や収入などの社会経済活動的地位が決まる仕組みをもつ社会のことを意味する。
ここでいう「メリット(merit)」とは、称賛に値する価値、長所、取柄、美点、手柄、成功などを指す。
社会の近代化に伴い、学校教育の制度化・普及とともに社会に浸透したとされるメリトクラシーは、家柄などの本人が変えらることができない属性によって生涯が決まってしまう前近代的な仕組み(「属性主義」「アリストクラシー」:貴族性)より、公正かつ効率的で望ましいものであると考えられてきた。
しかし、本書では、このメリトクラシーが支配的になり、弊害をもつに至ってきているかの要因を論じている。
なお、「功績」が顕在化し証明された結果であるのに対し、「能力」は人間の中にあって「功績」を生み出す原因と見なされる。
メリトクラシー(meritocracy:能力主義、功績主義)の弊害
能力の専制を生み出すのは出世のレトリックだけではなく、能力の専制の土台には一連の態度と環境があり、それらがひとつにまとまって、能力主義を有害なものにしてしまった。
1.不平等が蔓延し、社会的流動性が停滞する状況下で、われわれは自分の運命に責任を負っており、自分の手にするものに値する存在だというメッセージを繰り返すことは、連帯をむしばみ、グローバリゼーションに取り残された人びとの自信を失わせる。
2.大卒の学位は立派な仕事やまともな暮らしへの主要ルートだと強調することは、学歴編重の偏見を生み出し、労働の尊厳を傷つけ、大学へ行かなかった人びとをおとしめる。
3.社会的・政治的問題を最もうまく解決するのは、高度な教育を受けた価値中立的な専門家だと主張することは、テクノクラート的なうぬぼれであり、それは民主主義を腐敗させ、一般市民の力を奪うことになる。
対処策
目指すべき社会のあり方は、社会的に評価される仕事の能力を身に着けて発揮し、広く行き渡った学びの文化を共有し、仲間の市民と公共の問題について熟議することによって、巨万の富や栄誉ある地位には無縁な人でも、まともで尊厳ある暮らしができるようにすることである。
1.大学入試については、社会階層別の積極的差別是正措置と適格者のくじ引きによる合否決定、技術・職業訓練プログラムの拡充、名門大学における道徳・市民教育を拡大する。
- ・名門大学の門戸を広げるために、SATへの依存を減らすとともに、レガシー出願者、スポーツ選手、寄付者の子供などの優遇をやめる。
- ・適格性の基準を設けて、基準に達した人の合否は(「くじ引き」のような)偶然に任せれば、高校生活は健全さをいくつか取り戻せる。
- ・超難関大学への入学を勝ち取ることへの褒賞を減らし、能力主義的な選別装置の出力を落とし、より広義には、人生での成功が四年生大学の学位の有無に左右される度合いを減らす方法を考える。
- ・公立の四年生大学の間口を広げ、コミュニティ・カレッジ、専門・職業教育、職業訓練への支援を手厚くする措置をとる。
2.労働や福祉については、賃金補助と消費・富・金融取引への課税を重くすることで再配分する。
- ・グローバリゼーションが途方もない不平等を生んでも、能力主義と新自由主義が、その不平等にあらがう根拠を押しのけ、労働の尊厳をむしばみ、エリートに対する怒りと政治的反発をあおってきた。
- ・労働は、経済的であると同時に文化的なもので、生計を立てる手段であると同時に、社会的承認と評価の源でもある。
- ・労働者階級の不満に真剣に立ち向かおうとするなら、公共文化に浸透したエリートによる蔑視や学歴編重の偏見と闘い、労働の尊厳を政治課題の中心に据えるべきである。
- ・労働の尊厳の回復を目指す政治方針だけが、政治をかき乱す不満に対して有効に働きかけられ、その目標は、分配的正義と同様に、貢献的正義にも配慮しなくてはならない。
- ・グローバリゼーションの勝ち組企業と個人の増大した利益に課税することによって、社会セーフティネットを強化し、排除された労働者に所得補助金か職業再訓練を提供する。
- ・この数十年間にウォール街が編み出した複雑なデリバティブなどの金融商品は、実は経済に役立つどころか害を与えている。
- ・成功と失敗、名誉と承認に対する姿勢は、公共生活への資金提供の仕方に深く組み込まれており、課税は、単に歳入を増やす方法だけではなく、共通善への価値ある貢献として何を重んじるかという社会の判断を表現する方法でもある。
人はその才能に市場が与えるどんな富にも値するという能力主義的な信念は、連帯をほとんど不可能なプロジェクトにしてしまう。
いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか?
その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれた幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。
自分の運命が偶然の産物であることを身にしみて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ、こんなふうに思うのではないだろうか。
「神の恩龍か、出自の偶然か、運命の神秘がなかったら、私もああなっていた。」
そのような謙虚さが、われわれを分断する冷酷な成功の倫理から引き返すきっかけとなる。
能力の専制を超えて、怨嗟の少ない、より寛容な公共生活へ向かわせてくれるのだ。
まとめ(私見)
本書は、社会的絆と相互の敬意が崩壊してきた実態がいかにして生じたのかを説明し、共通善の政治への道を見いだすにはどうすればいいのかを考えようとしています。
現代の分裂した政治情勢を乗り越える道を見つけるためには、能力の問題に取り組む必要があるとして、多くの議論を展開しています。
- ・この数年で、能力の意味が変容してきたため、労働の尊厳がむしばまれ、多くの人がエリートに見下されていると感じるようになっている。
- ・グローバリゼーションの勝者は、成功を自力で勝ち取ったのだからそれに値するという信念は、正当なものなのか、それとも能力主義に基づく思い上がりなのか。
エリートに対する怒りが民主主義を崖っぷちに追いやっている時代には、能力の問題に取り組むべきであるが、その解決策は、能力の原則により忠実に生きることなのか、それとも、選別や競争を超えた共通善を追求することなのかを問う必要があるとしています。
そして、能力主義的な成功概念が、不平等を招き、怒りを育み、政治を害し、分断を助長しているとして、その中核をなす「教育」と「労働」の二つの領域に切り込んでいます。
著者は、ジョン・ロールズ(アメリカの哲学者、1921年2月21日 - 2002年11月24日)の正義論に異議を唱え、共通善と言う伝統的な概念を改めて正義論に持ち込んでいます。
ジョン・ロールズは、全員が平等な自由が分かちもって社会生活をスタートすべきこと、そして「最も恵まれない人びと」の暮らし向きを最大限改善すべきことを主張しています。
そうした正義観(公正としての正義)は、混迷する現代社会の矛盾を照らし出し、その改革の指針を提供するものと言えます。
そして「公正としての正義」を実現するためには、第一の原理「基本的自由の原理」と第二の原理「平等の原理」があり、「平等の原理」には「機会均等の原理」と「格差の原理」をあげています。
そして、社会全体における自らが置かれた状態を俯瞰的に捉えることができない「無知のヴェール」に覆われているからこそ、自分のことだけを考えて振舞うのではなく原理に従うべきであると唱えています。
これに対して著者は、正義は共同体において何が善(目的)とされるかによって決まるとしています。
ひとつの例が、本書にも出てくる大学入試のあり方です。
大学の善(目的)が優秀な学生を教育して社会に送り出すことにあれば、入学試験の点数で合格者を決定することが正義となりますが、必要だと見なす特徴にふさわしい多様性を育むことを善(目的)とするならば、そのための一定枠を設けるなどの措置を講じることが正義となります。
本書では、大卒の学位は立派な仕事やまともな暮らしへの主要ルートだと強調するため、学歴編重の偏見を生み出し、労働の尊厳を傷つけていると警告しています。
なお、著者の主張は、個人は共同体の一員としてしか存在しえないので、正義とはロールズが唱える個人の選択の自由に根差すものではなく、共同体の一員としての望ましい在り方を示すもので、正義を社会的に実現するためには共同体の善(目的)を受け入れる必要があるとしています。
正義とは、共同体全体の道徳的な善(目的)と離れてあるものではないということになります。
著者の思想の特徴は、民主的な共同体を通じた「共通善」の追求を掲げ、功利主義や事情主義を厳しく批判することにあります。
共通善に到達する唯一の手段が、政治共同体にふさわしい目的と目標をめぐる仲間の市民との熟議だとすれば、民主主義は共同生活の性格と無縁であるはずがないとしています。
完璧な平等が必要というわけではないが、多様な職業や地位の市民が共通の空間や公共の場で出会うことは必要であり、それは互いについて折り合いをつけ、差異を受容することを学ぶ方法であり、共通善を尊重することを知る方法でもあると説いています。
ただ、「自分は共同体に属している」と言っても、この共同体はどこまでの範囲のことを指すのか、そして共同体の外にいる人たちはどうするのか、といった疑問も出てきます。
私たちは、学生時代は受験勉強に追われ、就職すれば成果主義や企業内の競争の中にいます。
これは、本書が議論しているアメリカだけでなく、日本においても同じ傾向にあると言えます。
その根底には能力主義があり、「運命を握っているのは自分自身だ。やればできる。」と信じて努力してきた結果にあると思います。
しかし、どれほど頑張ったとしても、自分だけの力ではなく、才能を認めている社会に生まれたのは幸運のおかげであることを認めることも必要です。
自分の運命が偶然の産物でると考えるならば、ある種の謙虚さが生まれます。
本書は、労働の尊厳の回復、能力の時代が破壊した社会の絆の修復のあり方について、改めて考えるきっかけとなる一冊です。
目次
プロローグ
序論――入学すること
第1章 勝者と敗者
第2章 「偉大なのは善良だから」――能力の道徳の簡単な歴史
第3章 出世のレトリック
第4章 学歴偏重主義――何より受け入れがたい偏見
第5章 成功の倫理学
第6章 選別装置
第7章 労働を承認する
結論――能力と共通善
能力主義は正義か?
参考
実力も運のうち 能力主義は正義か? | Hayakawa Online
マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』試し読み | Hayakawa Books & Magazines
本物の幸せ哲学「共通善」の話をしよう -マイケル・サンデル 特別インタビュー | PRESIDENT Online
実力も運のうち 能力主義は正義か?
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